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思ったこと。考えたこと。気づいたこと。経験したこと。こんなバカなこと考えてたな~ってこと…残す。
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真っ直ぐに答えに向かっていけばいいのに、
何故かいろいろ気になって、
1つ1つ可能性を潰して進む。

真っ直ぐに向かえば早い。
それでも真っ直ぐには進めない。
キッチリと整理しながら進む。

無駄なこと?
余計なこと?
そうは思わない。
それは必要なこと。

ただ早くたどり着けばいいというものではない。
より高みに向かって昇りつく必要がある。
例え時間が掛かったとしても。。。

単純に早くたどり着くことはできよう。
整理なんてしなくとも着くことはできる。
だが、その先へ進むときに違いが出てくる。
勢いが違う。

無駄なことをしてる?
余計なことをしてる?

時間的に俯瞰して考えよ。
決して無駄ではない。
余計なことではない。
必ず役に立つ。
時間が立つにつれ、そこに違いは表れる。

安心せよ。

(2008年,初考)

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自分の人生は幸福か?
  
人生にはいたる所に分岐が存在する。
今の自分はこれら過去の分岐の1パターンに過ぎない。
ある1つの分岐で違う選択をすれば、
今の自分とは違う人生の自分がいる。
その多数の選択の結果、今の自分がいる。
  
この次元では。
  
  
ある分岐で違う選択をする自分。
それはもう1つの次元の自分である。
そうして、いくつもの分岐で別の選択をした場合の
別の次元が無限に近く存在する。
  
もちろん世界全体で言えば、
あらゆる人間の選択に従った無限に近い次元がある。
そんなに次元が存在できるのか?
『無限近く』の『無限近く』乗は『無限近く』だから、
何の問題もない。
  
今の自分は幸福か?
そうだという人も、そうでないという人もいるだろう。
しかし『無限近く』もある次元の中には
とても幸せな自分が存在する次元もあるはずだ。
  
幸福な次元と、そうでない次元。
無限近くある次元には必ずその2種類が存在するはず。
同じ自分の2種類の次元。
  
だったらいいじゃないか。
今の自分が幸せでないとしても、
それは別の幸せな自分がいる次元のため。
  
幸せな彼だって自分には違いない。
幸せな自分はどこかの次元に存在する。
  
 (2008年,初考)
日本の過去の文明は、どんなものだったのだろう。
世界の歴史も面白いが、意外と日本を知らない。
例えば縄文時代の生活は?
長いと思う江戸時代は300年。
文明開化以来明治、大正、昭和、平成で140年。
  
それに対して縄文時代は10000年だ。
  
人間は時代時代で様々な発明、発展を成し遂げている。
ここ数年は科学技術が目覚しい。
携帯電話はここ10年程度、パソコンでも30年弱。
その程度で物凄い進化を見せている。
  
人間は10000年もあれば、物凄い進化をしているのではないか。
確かに縄文時代では科学技術は発展していなかったかもしれない。
しかし、違う方向…精神力の発達…に進んでいたかもしれない。
縄文時代では魔法が社会や文化と共存していたかも。
土偶が人の代わりに働き、銅鐸がかってに音を奏で、
土器のデザインや製造は想像もできないプロセスを辿っていたかも。
  
詳しい痕跡が残されてない今、本当のところは誰も分からない。
現在の『科学の時代』に対し、失われた文明が『魔法の時代』という
可能性も0ではないと思う。
そんな妄想をするのが、最近はとても楽しかったりする。
  
…暗い…ね…。
  
 (2007年某日 初考)

人は何のために仕事をするのか?
その昔は食べて生きていくためであったと思う。
今も食べるためではあるが、
人間はそれだけでは物足りなくなっているようで、
仕事自体に意味を探す。

一方で、人間は様々な趣味を持つ。
なぜ趣味を持つのか?
趣味は生きるためには必要ない。
趣味を持つ人間以外の動物を聞いたことがない。
遊ぶ動物はいる。
ネコなどは寝てるか食べるか遊ぶかだ。
だが、それは生きるための練習なのだ。

仕事は社会に貢献し、社会は人類を繁栄させる。
人間は人類の繁栄のためにも仕事をしている。
趣味は文化の発展に寄与する。
文化は社会を発展させる。
趣味は個人の満足でもあるが、社会の発展にも役に立っている。

つまり、仕事と趣味は社会の、ひいては人類の繁栄のために存在し、
また人間は繁栄を目的として生きている。

では、個人レベルではどうか。
個人は人類社会の反映の行く末を見守る程の寿命を持っていない。
結果が見れないのに頑張る必要がどこにある?
個人レベルで考えると、人類社会の発展などどうでもいい。
自分のためになることをすればいい。
自分のためになることとは、いったい何だ?
個人の存在意義とは、いったい何だ?

動物は生きるために存在する。
その存在の意味はなんだ?
動物、いや生物は食物連鎖のために存在するのか?
個体の存在意義とはいったい何だ?

さて、今一般に知られている生物の中で、
このような考えができるのは人間だけだ。
なぜ人間はこういうことが考えられるようになったのだろう?
こういうことを考えられるようになったら、
この世界の存在意義を探し出そうとするのは当然だ。
この宇宙自体の存在意義はなんだ?

なぜ宇宙はでき、時間が動き出し、人が誕生し、
このような考えができるに至ったのだ?
それを知るのは神だけか?
だがしかし…俺は無神論者だ。

あほらし…さて明日からも仕事するか。

 (2000年某日 初考)
 

crossarea.gif

もし2次元世界がこの世にあったとする。
3次元世界との交わりはどうなるのか?
ふと疑問に思った。

2次元世界とは面だ。高さはない。W×Dの世界。Hはない。
ここで3次元世界の中に2次元世界があったと仮定する。
2次元世界の面に向かって進み、その平面を突き抜けるとき、
その瞬間が両者の交わりとなる。
2次元世界の平面に上と下を定義する。
3次元世界の物体が、平面の上から下へ移動したとき、
必ず2次元世界を通過しているはずである。

しかし、2次元世界の高さは0である。
3次元世界には高さが存在する。
当然、2次元世界を通過するモノにも高さは存在する。
交わった瞬間を考える。
高さありと高さ0の交わりはイメージできない。
そもそも3次元では高さ0のモノは存在しないからだ。
すなわち、2次元世界のモノと3次元世界のモノはぶつかることはない。
幽霊のように2次元世界にあるモノを通過するだけだ。
そして、通過するからには影を落とす。

2次元世界に住人がいたとする。
2次元世界には高さが存在しない。
もし、3次元世界のモノが通過した場合、影を見ることになる。
その影は、3次元世界のモノが2次元世界の平面を通過する際の
切断面であり、通過する動きに合わせて変形していく。
その物体は2次元世界の住人には何であるか分からない。
もしかしたら、たまたま2次元世界に存在する同じものがあり、
それと認識するかもしれない。
しかし、ほとんどは理解不能である。

さて、次元を1つあげてみる。
4次元世界のモノは我々に想像できない。
4次元世界との交わりは、まったく意味不明か、
何かの形を取って見えるはずである。
そして突然表れ、突然消える。
幽霊?超常現象?
そういったものは、もしかしたら4次元世界の何かが
横切っている結果なのかもしれない。

 (2006年某日 初考)
 

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